SEMINAR 説明会情報 INQUERY 資料請求 TEL 電話

人間として、生きてあること

 

 

コンピューターが絵を描くんだ、と知ったのは
今ほど生成AIなんて言葉が出ていない、2020年になるかならないか。
それぐらいの時期だったと記憶しています。

 

私は美術科教育の学部に所属する学生だったのですが 教科の特性上、
「何故美術は人間に必要なのか?」
「美術科教育は果たして学校でするべきなのか?」
「人間が作る・絵を描く意味は?」 …など、
なんだか哲学的な内容をよく取り扱っていました。

 

私はそのネット記事を見た時、とてつもない衝撃を受けて。
「何故あなたは表現するのか、 何故表現を教える学問を学ぼうとしたのか」とか、
丁度出されたそういう題の課題に対して、

 

「コンピューターが、
フェルメールの新作を描く時代になっている。 (厳密には違うが)

であるとするならば、上手く描く事や人を魅了する表現をすることなど
人間にはもういつか必要なくなる。機械が十分その役割を果たすのだ。

それよりも、もっと自分の根幹や、何がしたいかという欲望に向き合っていくために、
失敗から学び続けるために、人間らしく生きていくために美術は側にあるべきだ。
人間らしさのない当たり障りのない人間は、機械と変わらなくなる。
それを人間として止める必要がある」

 

…みたいな内容を、その勢いのまま書いた覚えがあります。
幼く拙いながら、熱量だけは沢山こめて。
(もう何年も前の話でおぼろげな記憶ですが…)

 

さて、なんでそんな話をしたか。

 

その時の熱量で語れるぐらい、
今の自分は果たして人間らしく生きていると言えるか?と、
先日ふと思ったからです。

 

例えば、目上の方に意見を求められて悩んだとき。
皆さんはいかがでしょう。

 

間違えたり、機嫌を損ねたくないから、
自分の考えがあっているか「AI」に聞く。そして送る。
…という人も多くなったのではないでしょうか。
少なくとも、率直に自分が思ったことや考えをまとめて、
送る人は以前より減っているでしょう。

 

他にも、何か人に伝えるとなった時、
失礼がないかと送る文章を何度もAIに確認したり。
もっと些細なことであげれば、自分が作った夕飯の献立が
変じゃないか不安になって調べたり。

 

挙げるときりはないのですが。
自分の表現というもののすぐそばにAIというものがある時代になっている。

 

そう、「人間らしさのない当たり障りのない人間」 という沼に、
片足を既に突っ込んでいる…んです。

 

ハッとして、少し気持ち悪くなりました。

 

読んでくださっている皆さんの中にも、
なんだか自分みたいかもと思った方がいるかもしれません。

 

不器用であっても、自分の考えや熱量を持って
相手・事象と向き合って表現する人。
それが一番一人の個人として社会に求められるために必要だと思います。

 

ずっと自分で分かっていたはずなのに、
AIの正しい情報や当たり障りのない表現に囲まれるようになって
なんだか飲まれていたような気がします。
正しくツールとして使いながら、業務効率の改善には取り組みつつ。
付き合い方はどうやら考えた方がよいみたいです(少なくとも、自分にとっては)

 

デジタルデトックス、ではないですが、
AIデトックスをしてみてもう少し自分の本来のところに立ち返ってみようと思いました。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

大原

一覧へ戻る