やるための言い訳
大久保です。
「エクセルで作成したデータが全て消えた」
「必死に企画したイベントがなくなった」
「何時間も時間を掛けて勉強してきたシステムの上位互換のシステムが現れた」
上記のように仕事で時間を掛けて行ったことが水泡となる。
こんなことあると思います。
つい最近でも、
社員旅行がコロナのお陰でなくなりまして、
必死に企画をしてくれた佐藤には申し訳ない気持ちになりましたが・・
あなたの考え方はどちらでしょう?
① その時間が無駄になった
② その時間を掛けてきたことは無駄にならなかった
・・・
私は①だと思います。
夢も希望もないことを言えば
その時間は「無駄」になったのです。
「無駄にならない」
と考えた人は、
単に、他人に言い聞かせる言葉であり、
自分事ではありません。
受験勉強に3年間、一日も休まずに勉強した。
しかし受験に失敗してニートになった。
しかし受験勉強で学んだことは
無駄にならないから・・・
などと考えている人は、
受験勉強の3年間は「無駄だらけの勉強法」になっている可能性が高いのです。
しかし、上記の限りではないのが
「目的意識」です。
A
大学に合格するために勉強をした。
B
将来、英語を使った仕事をしたい。
と思い英語を学び、その過程で受験勉強をした。
Bのケースはおそらく受験に落ちても、
その勉強した事柄はきっと生きてくると思っています。
つまりは、
社員旅行の企画でも、
自分のスキルアップを目的として
その事柄に取り組めは、
いざ水泡になっても、ダメージを抑えることが出来ます。
(本人はそこまでダメージがあるかは分かりませんが・・)
私は大学受験のときに
水泡になるダメージを最小限に抑えるように勉強していました。
勉強は将来に絶対に必要になる!とか
勉強が出来れば学校でモテる!
とか・・(笑)
つまりは
「やるための言い訳」
を作っていければ
それがリスクヘッジ兼モチベーションになり得るのです。
与えられた仕事は、
与えられた角度からではなく、
常に自己中心的な角度から
捉えていかなければいかない。
そんな自己中心的考え方で
私は仕事をしています。