「倍返し!」再び
7月19日、ついに始まりますね。
「倍返し」という流行語大賞を生み、
40%超えの視聴率を出した大ヒットドラマ「半沢直樹」の続編が。
7年前、毎週日曜日に瞬きや呼吸を忘れるほど、
ドラマにのめり込んで見ていた私は、
この日を長年待ち望んでいました。
きっと今回も、半沢直樹の雄姿に魅せられて、
ドラマ翌日の月曜日からやる気に満ち溢れたビジネスマンが
急増することでしょうが、間違いなく私もその一人になります。
さて、半沢直樹の原作は、池井戸潤さんが書いた小説になりますが、
この池井戸小説は他にも大ヒットドラマや映画をたくさん生んでいます。
下町ロケット、ルーズヴェルト・ゲーム、陸王、民王、空飛ぶタイヤなどなど、
数え上げるとキリがありません。
大体の作品は観ましたが、どれも面白いですね。
窮地に追いやられた主人公に深く感情移入してしまい、
共に絶望や憤りを感じ、
気が付いたら自分事のように主人公を応援してしまう。
そして努力が報われた際には、
まるで私生活が上手くいったかのように喜んでしまう。
池井戸シリーズの作品には、
そんな不思議な魅力が詰まっていると思います。
その魅力を生み出しているのは、
やはり最後まで諦めない強い意志と正義感を持った主人公にありますが、
もう一つ外せない条件があります。
それは、主人公と同じくらい魅力的な悪役の存在です。
池井戸シリーズの悪役は、とにかく救いようのないくらい悪者です。
だからこそ、主人公が一矢報いた際も、悪役に一切同情することなく、
勝利を味わうことができます。
池井戸シリーズの人気の理由を考察すると、
この徹底したヒロイズムと非常に分かりやすい善悪関係が
作り出しているのではないかと思います。
悪さをして弱者を苦しめる悪者と、
それを倒し弱者を救う正義の味方。
昔から人気のある
アンパンマンや水戸黄門と同じような構図ですね。
さて、それぞれの作品に必ず登場するこの悪役たちですが、
「人の弱みに付け込む」
「私利私欲のために他人を踏みにじる」
など攻撃的な面を見せますが、
同様に、
「ミスを隠蔽する」
「責任を部下に押し付ける」
などの保身のための悪行も目立ちます。
つまり、責任を自分で取らない管理者が多いんですね。
仕事を任せた部下がミスをしたら、
ミスをした部下が100%悪く、
管理者に一切の責任はない。
という、本来の管理者の責任とはかけ離れた悪しき風習が垣間見えます。
半沢直樹に出てきた言葉を引用すると、
「部下の手柄は上司のもの、上司の失敗は部下の責任」
というやつですね。
このことは、ドラマの世界だけでなく、
現実の会社にも多いように感じます。
特に組織の代謝が悪く、風習や考えが凝り固まっている大手企業に多いようです。
責任を取ることは、管理者の責務である。
日本では、責任を取ることを美徳としている習慣があったため、
責任転嫁をする管理者が多く、そしてそのような管理者が報われてしまうことは、
非常に残念です。
例えば、元陸軍大将であった大山巌という人物は日露戦争において、
「作戦はすべて総参謀長に任せる。いざ負け戦となれば私が出ていく」
という意味の言葉を残したとされています。
すべて部下に任せ、勝ち戦となった際には当然手柄を部下に与える。
しかし負け戦となった際には、下手な言い訳などせずに全ての責任を取る。
要約すると、このような意味の言葉となります。
先程の悪しき風習と真逆ですね。
これによって部下である総参謀長は、
上司の目を気にしたり、制限された管理下の中で窮屈な思いをすることなく、
100%任務に集中できたようです。
任せるときには徹底的に任せる。
例え上手くいかなかったとしても、全ての責任を取る。
これぞ上司と部下の理想的な関係性と言えるかもしれません。
もちろん、任せると言っても丸投げするのではなく、
人材や業務内容など、上手くいくであろう任命をして、
もし道を外れていたらその度に軌道修正していくような
マネジメントもしていく必要がありますね。
半沢直樹の話から、かなり逸脱してしまいましたが、
コロナ禍においてリモートワークの必要性が高まる現代では尚更のこと、
例え離れていたとしても、上司と部下がお互いに信頼し合って、
同じ目標を目指すことができるような会社でありたいと思います。
後藤