断定の哲学
大久保です。
よく会話の中で「間違いない」
と相槌を打つことがありますよね?
私も「当たり前」「間違いない」とよく言いますが、
講演をするときや、前に立って話すときに
こういった「断定」が苦手なところがあります。
というより、
極力したくない。
と、思っています。
そして
自分の生きてきた世界、知っている世界。
この狭い世界の中で、
果たして断定できる・断言できることがいくつあるか?
と、たまに考えたりします。
this is a pen.
「これはペンです。」
みたいな感じで
それがペンならそれはペンですが、
例えば、
「ペンの活用法は、字を書くことです。」
みたいな断定は、
本当か?ほかにまだ活用法はあるんじゃないか?
とか、
「おれの国ではペンは食べるものです。」
みたいな人がたまにいるかもしれない。
と思ってしまうため
私は断定するのが苦手なのかもしれません。
断定しないと言葉尻が弱くなる。
と思われがちですが、
断定しない代わりに、
もし違う考え方を持っていた人がいたとしても
「確かにそれもありかも・・」と思ってもらえるように話を組み立てる努力をするのが
自分のスタイルです。
ブログに書くことが何もなかったため、
思い付きでつまらない話でしたが、
つまり何が言いたいか。
というと、
本屋に並んでいる本の「絶対に」から始まるキャッチコピー
は全て嘘です。
統計のような数字は、全て伝え手の都合の良い数字のトリックです。
断定された哲学は全て宗教です。
自分で見つけた答えや体験が真実であっても
自分の真実は誰かの真実ではない。
・・と、いうのが
私の個人的な意見です。