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教育の難しさ

  

  

みなさま、こんにちは。
ラストコンパスの田中です。

私が入社してから約1年半が経過しました
これまで「自分が学ぶ側」として日々を過ごしてきましたが、最近では後輩が入社し、仕事を教える機会が増えてきました。

  

正直に言えば、教育という立場に立つのは自分にとって新しい挑戦です。
これまでは常に自分が一番下の立場で、誰かに教えるという経験はありませんでした。
仕事以外の場面でも、人に何かを教える機会はほとんどなく、むしろ意識的に避けてきた部分すらあります。

  

その理由を振り返ると、自分の考えや意見に十分な自信を持てなかったからだと思います。
私は「人によって考え方や価値観が異なること」が個性だと捉えており、人の話を聞くことは好きですし、相手の考えを尊重したいと思っています。
一方で、自分の意見を強く主張することには抵抗がありました。
というのも、これまでの経験の中で「自分の考えが正しい」と譲らず、相手の意見を否定する人に出会ったことがあり、自分はそうなりたくないと感じていたからです。

しかし、教育の場面では相手の意見を尊重するだけでは不十分だと痛感しています。
やはり後輩としては、自信のなさそうな人から学ぶよりも、根拠を持って自分の考えを語れる人から教わりたいものです。
つまり、教育において大切なのは「自分の考えを根拠を持って伝える力」だと気づきました。

  

教育の機会を通じて実感しているのは、「自分ができること」と「相手に伝えられること」は別だということです。
たとえば、入社当初に苦労していたテレアポ。
以前の自分と同じような悩みを後輩から相談されると、「ああ、自分も同じところでつまずいていたな」と思い返す瞬間があります。
そして、今ではそれを乗り越え、自然にできるようになっている自分に気づくのです。

ただし、なんとなくできるようになったことを「経験則」で伝えるだけでは教育にはなりません。
なぜそうするのか、どうすれば改善できるのか、その理由を言葉にして説明できなければ、相手にとっては分かりにくいままです。
逆に、理由を整理して説明することで、自分自身も改めて基本を見直す機会になります。

つまり、教育とは「相手のため」であると同時に、「自分の成長のため」でもあるのだと実感しています。

  

  

教育の難しさは、単に知識やスキルを伝えるだけでなく、相手の理解度に合わせて噛み砕き、納得感を持ってもらう工夫が必要なところにあります。
そしてその過程で、自分の理解が不十分な部分や曖昧な部分も浮き彫りになります。

根拠のない自信ではなく、「なぜそう考えるのか」を説明できるようにすること。
感覚でできるようになったことを一度立ち止まって言語化すること。

これらが教育を通じて気づいた学びであり、今の自分にとって大切な課題だと思っています。

教育の場は、一方的に「知っていることを教える時間」ではなく、互いに成長し合う場として活用し
後輩に教えることで自分自身の成長を振り返り、さらに自分の考えを深めていく機会としてさらに成長していこうと思います。

ラストコンパス 田中

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