伝統を壊す
こんにちは。鈴木です。
先週は父の誕生日と母の日ということで、私の前回のブログにある通りに、「ありがとう」を
贈り物に変えてプレゼントしました。
しかし、富山の実家に送ったはずが私の家に届いてしまうという失態を起こしてしまいました。
普段柄にもないことをするとうまくいかないものですね。。笑
題名が少し物騒な内容でしたので、少しは前文で和らいでもらえたでしょうか。
今回は私の考え方の一部についてお話していこうと思います。
私は人と同じことはあまりしたくないタイプで、同じやり方で成功するより、自分の意志で考えたことについてチャレンジして失敗する方が、気持ちとしてはスッキリします。
これまでの人生においても、普段はその地域からは行かないような高校へ進学したり、練習メニューを考えるときに、オリジナルのバリエーションを加えて実践するなど、なにかとクセのある考え方をしています。
そんな中で、「伝統だから」という言葉が私はどうも嫌いなようです。
これは大学時代の話ですが、私の部活では、次の代のキャプテンを引退する上の代で決めるということになっていました。1年生の時は特に気にすることもなく、その発表を聞いていたのですが、ふと「なぜこれから自分たちのチームにしていくのに、引退する先輩達がキャプテンという大事な心臓部分を決めているのか」と思い、当時最上級生のマネージャーにこの問いをぶつけてみました。
返ってきた回答は一言で、「伝統だからね~。」
私はなにか納得できるだけの明確な理由があると思っていただけに、腰が抜ける思いでした。ただ毎年そうしているから・皆がそうしているからといってそれが正解であるとは限りません。(もちろん上の代がキャプテンを指名するということが悪いとは思っていませんし、そう任命することで当事者の責任感がより一層増すこともあると思います。)
私が言いたかったのは、そういった考えの基で行動しているのではなく、ただ何も考えずに毎年しているから今年もそうしようといった、思考をしていないことに対しての腰抜けです。
常に別解や例外的な事象を探し出し、そこを自分なりに解き明かしていく。
それこそが私の思い描く「伝統を壊す」という言葉に繋がっていくと考えます。
もちろん長い歴史のなかで培われてきた伝統であったり、多くの人達によって受け継がれてきた伝統は、守り継承していくべきです。
しかし、今回私の「伝統を壊す」という題名にもある通り、壊して終わりでは話になりません。
ここでこのブログを書きながら、ひらめいた事として、「伝統を壊すことで伝統を守っているのではないかと。」
自分でもなにを言っているのかはよく分かりません。笑
もう少し分かりやすく解釈すると、これまで行ってきた行動・考え方・慣習・風習・体験・経験=人生において、伝統(他人と同じ)のままでは、乗り越えられないこともあると思います。
短い歳月の中で、一瞬一瞬を自分の伝統と捉え、それをどんどん新たに築いていく。
そのような考えを一つ、新たな知見として頭の片隅の隅にいれていただけると幸いです。
これから暑い季節へと向かっていきますが、地元の「米」をたくさん食べて頑張っていきます。
皆さんも、暑さに負けず頑張っていきましょう!
それでは。