“考える”ことを考える

みなさまこんにちは。
ラストコンパスの髙藤です。はい、タカフジです。
お気付きですか?1年の3分の1が終わってしまっていること・・・
本当にあっという間ですね。
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早速、今回も行きましょう。
「大事なことは、既存の習慣的な思考パターンから抜け出し、新たな視点や関係性を持って物事を捉え直すこと。」です。
そもそも「考える」とは何でしょうか?
「考える」という行為は、人間にとってその本質を捉えることは容易ではありません。
日本語における「考える」の定義では、知識や経験を基盤として筋道を立てて頭を働かせる活動であることを指しています 。これは、単に情報を記憶したり処理したりするのではなく、自ら問いを立て、その問いに対して思考することで、何らかの答えや結論を導き出すプロセスであると言えます 。
この問いを立てるという点が、「思う」や「感じる」といった、より感情的または直感的な心の働きと「考える」とを区別する重要な要素となっています 。
例えば、「おいしい」と感じるのは単なる感想ですが、「なぜこの料理はおいしいのか?」と疑問を持つことが「考える」ということです 。
哲学においては、「考える」は「問い、考え、語ること」と定義され、他者と共に「考える」場合は「問い、考え、語り、聞くこと」とされます 。この定義は、思考が個人的な内面活動であると同時に、他者とのコミュニケーションを通じて深まるという面も示しています。
考えるためには、自らが立てた問いに意識的であることが重要であり、他者の存在が思考を豊かにする上で不可欠であるとされています 。
一方、より狭義の定義として、「考える」とは正解がない問いに答えること、つまり意思決定であると捉えることもあります 。
この見解では、正解が明確に存在する問いに答える行為は「調べる」と区別されます 。
また、「考える」という行為は、必ずしも明確な思考プロセスを意識している状態を指すとは限らずに、問題を抱えていながらも答えが見つからずにいる状態も含まれる、という見方もあります 。
思考は、単独のものとして存在するのではなく、記憶、注意、推論、問題解決、意思決定といった様々な認知プロセスが複雑に連携することで実現します。
利用可能な情報を評価し、予測される結果を考慮して、自身の価値観や目標に基づいて選択を行うためには、記憶、注意、推論といった他の認知プロセスが統合的に機能する必要があります 。
日常生活においてはどうでしょうか?
日常生活では、「考える」という行為に満ち溢れています。
私たちは、意識的にも無意識的にも様々な思考プロセスを駆使して日々の出来事に対応していると思います。
朝起きて何を着るか決める際、天気予報や予定、そして自分の好みをも考慮しています 。
これは、過去の経験と現在の状況の把握、そして未来の予測に基づいて行われる意思決定の例です。
これらの日常的な例からもわかるように、私たちは様々な状況に応じて、記憶、注意、推論、問題解決、意思決定といった認知プロセスを組み合わせながら、「考える」という行為を行っているのです。
重要なのは「既存の習慣的な思考パターンから抜け出し、新たな視点や関係性を持って物事を捉え直すこと」です。
我々ラストコンパスは、工務店経営を「共に考える他者」でありたいと思います。
それではまた。