勉強の意義は、選択肢を増やすことと偏見に気付くこと
こんにちは。
砂古です。
夏も終盤に差し掛かっていると信じたいですが
まだまだ30度越えの日々が続いていますね。
さて、タイトルのことですが、自分が学生の頃は
「なんで勉強しないといけないの?」と、よく思っていました。
実際、苦手だった二次関数や微分積分を社会人になってから使った試しがありません。
数学だけじゃなくて歴史も苦手で、
背景を理解せずに丸暗記で乗り越えてきた人間だったので
勉強が楽しいと思ったことがありませんでした。
ですが、今年の6月に、
ずっと気になってた鹿児島の特攻資料館に行ってきました。
一人でふらっと行き、時間が許す限りみてまわりました。
語り部さんにいろいろ話を伺ったり
本やyoutubeも見たりしていると、
生き残った人、隊員の家族、アメリカ側、、
様々な視点から特攻について考えることができました。
教科書の一つの側面からしか見たことがなかったので、
今まで自分が思っていたことは偏見であることに気づきました。
机に向かってする勉強では到底経験できないほどの
多くの学びがそこにはありました。
知らない世界を知る経験って最近なかったのでかなり新鮮でしたね。
♢♦♢♦♢
勉強すること
視野をひろげることは
偏見に気付くことだけでなく、
自分のなかの選択肢の幅を増やすこともできると考えています。
①Aの選択肢しか知らない状態でAを選ぶこと。
②AとBとCの3つの選択肢を持っていて、Aを選ぶこと。
結果としてAを選んでいることは一緒ですが、
①と②では大きく価値が異なると思っています。
様々な選択肢を持ったうえで、その道を選ぶなら、
納得感をもつことができ
誰よりも頑張れるし、努力できる。
例えば、小さなころの夢。
自分が知っている職業の幅が狭いゆえに、
パティシエやサッカー選手や漫画家…などが多いと思います。
小さいころからコンサルタントや会計士になりたいと言っている子供はおそらく少ないと思います。
年を取るごとに、この職業の選択肢は増えていくと思います。
人間は知っているものの中からしか、やりたいと思えません。
色んな人に合ったり、
本を読んだり、
自分の世界を広げることの価値はものすごく大きいと感じています。
友人や会社にいる人など、
自分の近くにいる人は、
比較的自分と考え方が似ている人が集まっていると思います。
自分の世界を180度変えるような存在はあまりいないのではないのでしょうか?
自分が今いる居心地のいい世界から一歩踏み出し、視野を広げることで
本当に自分がやりたいことと出会えるかもしれません。
私は最近、プライベートで大きく環境が変わりました。
他人の意見に流されやすい人間ですが、
自分の歩む人生で何を選択するか
他人に決められるのではなく、様々な選択肢を持ったうえで
自分が納得する道を選んで進んでいきたいなと思っています。
他人に決められるのは悪いことではないですが、
自分の人生の責任を取ってくれるわけではないですしね、、
今月も読んでくださりありがとうございました。
砂古