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ガソリン

 

こんにちは。

ラストコンパスの笹川です。


みなさん、突然ですが三國 清三 氏をご存じありますでしょうか。


時代の寵児

日本一のフレンチシェフ

天才料理人


日本が誇るフレンチシェフとして世界的に認知されている人物です。

現在68歳であり、自身の旗艦店である「オテルドゥミクニ」(東京・四谷)を昨年末に閉店させたことでニュースになっておりました。


恥ずかしながらそのニュースを見るまで三國氏のことは知りませんでしたが、その一生涯を振り返ると大変興味深い点があったので共有させていただければと思います。


今回のテーマは、「欲」と「負けん気」が人生を切り開くという内容です。


元々、三國氏は北海道の貧しい漁師の家に生まれて、調理師学校に通っていました。

勉学と並行しながら米穀店でバイトをし、自分で生計をたてていたそうです。


そのバイト先で賄いとして出されたハンバーグに感動し、洋食の道に進むことを決意。

北海道で随一といわれた「札幌グランドホテル」にすぐに直談判し、鍋洗いのスタッフとしてパート入社します。


そこから、鍋洗いの要領とセンスが買われ、半年後には ” 異例 ” の「中卒からの正社員登用」を成し遂げます。


数年後、それでも更なる成長を目指す三國氏は札幌グランドホテルから紹介状をもらい、帝国ホテルにパート入社します。しかし、ここでも料理はさせてもらえずに、前職からの鍋洗いの仕事のみ割り当てられます。


すると、日々の仕事ぶりが買われて、20歳にしてジュネーブ日本大使館の料理長に任命されます。帝国ホテルで料理を一度もしたことがなかったのに、です。


「10年間は修行の期間と思って、日本には帰ってこないでください。10年後、君の時代が必ず来ます。」と当時の総料理長に言い渡されたそうです。


そこから現地でフランス料理の巨匠や三ツ星ホテルに飛び込みで、「働かせてください」と直談判していき、着実に実力をあげていきます。


日本に28歳で帰国した後には、日本料理とフレンチの融合を創作し、「世界のミクニ」と呼ばれるまでに評価されました。


出版物の「皿の上に、僕がある。」は”世界のシェフでこの本を持っていない人はいない”と言われています。


このように経歴だけ見ると、輝かしい三國氏ですが、

その裏には泥臭い行動と野望、そして負けん気がありました。


鍋洗いという単調な仕事を根気よく、真剣に取り組める事

鍋洗いの仕事だけでなく、料理する努力・準備を裏でしていた事

キーパーソンを見極めてすぐに行動する事

同僚よりも人一倍うまい料理をつくりたいという熱意があった事


今回記載した内容以外にも様々なエピソードがあるので、ぜひ調べてみてください。

会社員でもそうでない人も、等しく参考になる内容が多く含まれています。


この動画、おすすめです。


畑違いですが、共有させて頂きました。

それでは失礼いたします。

笹川

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