自分がやっていることを教えても部下は出来ない
こんにちは。
私は数年前、弊社の代表の伊藤から、
「自分がやっていることを教えても部下は出来ない」という言葉を
言われたことが(多分)ありました。
今回はその話を少ししたいと思います。
部下や後輩に営業の方法を何度教えてもなかなかその通りに出来ない!
逆に、この先輩は言ってることは分かるけどそれを上手く言語化できない。
という経験は誰にでもあることかと思います。
私も昔、営業成績の優秀な、様々な上司のもとで色々な営業のいろはを教えて頂いていたのですが、
話は分かるけど‥出来ん!というシチュエーションに何度も直面しました。
それは何故かというと、
その人だから出来るバックグラウンドや前提となる知識ありきでの営業手法が多かったからです。
例えば、
私は数年間、ある大手の会社でセミナーに誘致する電話営業を行っていたのですが、なかなか最後の呼び込みが上手くいきません。
それを見かねた上司は
ある程度案内した最後に「絶対損しないから説明会に来た方が良い」となぜ言わないのか?
という教育を受けたことがありました。
もちろん私も新人時代だったので、それを再現しようと意識はします。
しかし、何度その状況で意識してもその言葉を言うことは出来ませんでした。
ではなぜそれほど意識しても言えないのでしょうか?
それは、「絶対損しないから説明会に来た方が良い」という言い回しが
自分の電話のキャラクターにそぐわないワードチョイスだったからです。
それはそうだろ‥と共感頂けた方も多いと思いますが、
この上記の例は極端な事例で、細かな部分で無意識にそれをしてしまっている方も多いと思います。
(決して自分が出来ているというわけではありません‥が)
何度もこの事態に突入することに気付いたので、
私はこの“教える側と教えられる側のミスマッチが生まれている状態で教育する“現象を
「再現性の欠落」と呼ぶことにしました。
「再現性の欠落」状態に陥るケースは下記の2つのケースがあります。
- キャラクターが伴わない
- 知識や経験が伴わない
上のケースは、被教育者の目線での言い回しを考える必要があるかと思います。
下のケースは、教えていることが自分の役職や知識が伴っているかを確認してレベルダウンして教える必要があるかと思います。
よく言われる優秀な営業がマネジメントになるといきなり何も出来なくなる現象は、自分のキャラクターや知識・経験を加味しない指導が生み出した産物だと思ってます。
いずれにしても、両者間でよっぽど似た考え方や思考回路を持っていない限りは、
「自分がやっていることを部下に教える」のではなく、
「部下が出来るように自分の手法を変換して教える」ことが大事だと‥
ふと数年前教えて頂いたことを思い出しましたので、
今一度、自分の教えている内容に
「この教育に再現性があるか?」を意識して行うことが出来れば、
もっと自分の手法がよりよく他者に落とし込めるのではないでしょうか?
では。