当たり前の恐怖
いつもブログを読んでいただきありがとうございます。
ラストコンパスの秋岡です。
先日、ある会社様でチームビルディングを行ってまいりました。
チームビルディングとは、社員同士でコミュニケーションを取りながら、体を動かすものから、頭を使う各種ワークを通じて、社員の結束を固めることや、会社のベクトルを一つにしていくための研修です。
チームビルディング中に会社の改善点を考える時間があったのですが、その時に若手の社員の方から「事務所が汚い」という意見がありました。
せっかくなので、どれくらい汚いのかを見せて頂きました。
私の感想から申し伝えますと、そこまで汚いという印象を受けませんでした。
では整理整頓の余地がないかというと、そうではありませんが、社員の方から聞いていた話で想像していたよりもずっと綺麗だったのです。
そこで、社歴の長い中堅の社員さんに質問してみました。
「事務所は汚いですか?」
そうすると、
「そこまで汚いという風には感じません。」
という意見が返ってきました。
私はこの時2つのことを考えました。
1つ目は、パット見た時にそれほどひどくない整理整頓の状況に対して、危機感を持てる若手社員の感覚の良さ。
2つ目に、もっと整理整頓できていなかった状況を知る中堅社員にとって問題ないと判断する感覚の危うさです。
若手社員と中堅社員の感覚の違いは、どの基準をもって「当たり前」にするかではないかと感じました。
そこで今回は「当たり前」に関して考えてみたいと思います。
「当たり前」の壁① 課題認識する
皆さんの会社でも、「効率が悪い」「手間だ」「無くても困らないものがずっとある」というような状況を感じたことはありませんか?
まず、そういった風に課題や問題に気付けるのか、それとも気付かないのかが最初の大きな壁です。
例えば、ある社員Aさんはルーティンで行っている帳票を付けるエクセル作業があります。計算を電卓で叩いてから入力することに慣れており、そのことに何の疑問も感じることなく、毎日一生懸命に業務をし、手計算しているため、ミスがないかを再度チェックして、1日が終わります。
Aさんは電卓を打つことが誰よりも精確で早い自信があるため、帳票の入力はセクセルと電卓がセットであることが当たり前であり、課題という認識がまったくないのです。
Aさんと同じようなことは、今時なかなかないとは思いますが、当たり前が邪魔をして、課題に気づくことができないことはあるかと思います。
「当たり前」の壁② 改善する
次に課題を認識していても、改善することが労力であるため見送るケースがあります。
上の例の続きでいうと、実はAさんはエクセルで計算式を組むことができるのは知っていますが、計算式の組み方がわからないため、その手間を考えると、今までの当たり前のやり方で行う方がいいと考えています。
改善策まで分かっていても、それを改善するための初動にたくさんの労力がかかるということで、改善することをAさんは見送っています。
Aさんの今回のケース以外だと、マニュアルの作成や社員教育などがよくあてはまるケースではないでしょうか?
この改善の先送りが一番多い事象だと思います。
ここから一歩踏み込んで、当たり前から脱却するためには、行動するしかありません。
最後に
当たり前によってもたらされる弊害、そして、その当たり前に改善が必要だとわかっていても改善することの難しさを改めてお伝えしました。
このブログを読んで頂いた方で、当たり前を脱却し、具体的に行動に移す方法を知りたい方は、弊社で行っているセミナーにお越し頂ければ幸いです。
それでは。