”クオータークライシス”に立ち向かう

こんにちは。中松です。
皆様「クオータークライシス」という言葉を聞いたことはございますでしょうか?
25歳~35歳ごろに訪れる、漠然とした不安や葛藤のことです。
これが起こる原因としては、やはりこの年代にライフイベントの変化が起こることが多く、
周りと自分を比較してしまうことが考えられます。
私も今年で25歳になるので全く他人事ではないですし、
そこまで深刻ではないですが、漠然とした不安は常に感じているように思います。
ただ、ここ最近でその「不安」に対する向き合い方について、
新たに気づきがありましたので、今回はそのことについてブログを書いてみようと思います。
そのきっかけになったのが
「誰もが自分の無価値さと闘っている」(Netflix配信)
というドラマを見終わったことです。
なかなかインパクトのあるタイトルですよね。
物語は、売れない映画監督・ドンマンと、過去のトラウマを抱えた映画製作会社の社員・ウナの出会いを中心に展開します。
登場人物たちが、文字通り「自分の無価値さとどう向き合い、闘っていくのか」がリアルに描かれていく作品です。
劇中では、映像業界の厳しい現状もリアルに描写されています。
– 映画やドラマの需要縮小
– AIの発達によって「自分たちの仕事」が奪われる恐怖
– 配信プラットフォームの普及による、映画館離れ
しかし、これは映像業界に限った話ではなく、あらゆる分野で「自分の代わりはいくらでもいるのではないか?」
という不安が渦巻いているのが現状かと思います。
「Doing(何をするか)」ではなく「Being(どうあるか)」
そんな不安の中で、私の心に深く突き刺さったセリフがありました。
それが
「“人間”を英語に訳すとどうなるか?
Humanじゃない。“Human being”だ。
何をしているか(doing)ではなく、
どう存在するか(being)を考えて生きるのが人間なんだ。」
という内容のセリフです。
この言葉は、20代中盤に差し掛かった私にとって、
救いであり、警告のような言葉でとても記憶に残りました。
AIが台頭してきた現代、「何者かにならなければ」と焦り、
目に見える成果(doing)ばかりを追い求めてしまいがちです。
「何かを成し遂げたから価値がある」
「社会に役立つスキルがあるから価値がある」
そういった社会的雰囲気が何も成し遂げていない自分は「無価値」に思えてしまう。
ですが、このドラマを視聴して得た気づきが、
「成し遂げること(ゴール)が目的ではなく、その過程でどうありたいか(在り方)を問い続けること」の重要さでした。
効率や成果だけを基準にするなら、私たちはそれこそAIに勝つことはできません。
ただ、たとえ目に見える大きな成果がすぐに出なかったとしても、
効率が少し悪かったとしても、その過程で自分が「どう在ったのか」という視点を持つことで、
「自分は無価値である」という不安から少し開放されるのではと気付きました。
今回は「クオータークライシス」をテーマにお伝えしましたが、
この思考回路はどの年代にも有効なのではないでしょうか?
「どうありたいか」
「どんな景色を見て、どんな感情を大切にして生きていきたいか」
という「Being」にも目を向けて、私も日々精進していきたいと思います。
最後までご拝読いただきありがとうございました。
暑い日が続きますので、体調にはくれぐれもお気を付けください。
ではまた次回。